小野忠石材店は明治26年初代小野寺忠三郎が岩手県一関市大東町猿沢で石材業を始めました。
昭和9年より小野寺忠一が2代目を継ぎ、昭和33年岩手県奥州市水沢に移転、昭和47年工場の拡張の為、水沢羽田町に移転しました。
創業当時、初代の仕事は川や山から採れた石を運搬用意することから始めたそうです。そのため、重く大きな石を船または陸路では牛車を使って運搬していました。
お墓の形も、自然の石をそのまま利用した墓石が多かったそうです。
2代目忠一の時代も石材は国産または川や山から採れる御影石を利用していました。また、道具も発達しておらず昭和初期~昭和40年代以前の日本国内の石材店は毎日、石工たちが朝早く鍛冶仕事をして、自分の道具の歯立てをしてからお墓の加工をするという風景が当たり前でした。
当時の道具はタンガロイ、のみ、コヤスケ、セットウ、ゲンノウ、手磨き用砥石を使い職人の手加工のみでお墓を作っていました。そのため、1基のお墓を加工するのに1ヶ月~2ヶ月程時間がかかりました。
昭和50年以降は機械・道具の近代化により、加工納期の短縮・技術が著しく向上しました。しかし、機械や道具が発達したからといっても、それを動かす人間の力がまだまだ必要です。
特に石材加工はこれまで養われてきた経験と技術がとても大事になってきます。
小野忠石材店は創業120年余りの伝統、技術、経験をもっております。お客様の大切なご家族の絆を未来に伝えるお墓。
100年残るお墓創りを目指してこれからも皆様に喜んでいただける様、努力して参ります。